内田也哉子さんの心を揺さぶられる謝辞全文。

金村
『52週経営』の14/52WEEKSが終了。

新年度がスタートした1週間

今週は4月1日の新元号『令和』の発表から新年度がスタートした。

イチローの国民栄誉賞の3度目の辞退などきになるニュースが多い1週間でもあった。

そんな中で、ダントツで私の心を鷲掴みされたのが、3月17日に肺炎のために79歳で亡くなった内田裕也さんのお別れ会が3日、青山葬儀所で『ロックンロール葬』で、遺族代表として謝辞を述べた内田也哉子さんの言葉だった。

内田也哉子さん謝辞全文

内田也哉子さんの謝辞の全文は以下の通り。

本日はお忙しいところ、父、内田裕也のロックンロール葬にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。親族代表として、ご挨拶をさせていただきます。

 

私は正直、父をあまりよく知りません。『わかりえない』という言葉の方が正確かもしれません。けれどそこは、ここまで共に過ごした時間の合計が数週間にも満たないからというだけではなく、生前、母が口にしたように『こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也』ということが根本にあるように思えます。

 

私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。

 

率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

 

けれども、きょう、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたお一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。

 

父親という概念には、到底、おさまりきらなかった内田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。『これ以上、お前は何が知りたいんだ』きっと、父もそう言うでしょう…。

 

そして、自問します。私が唯一、父から教わったことは、何だったのか?

 

それは、たぶん、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。『これ以上、生きる上で何を望むんだ』そう、聞こえてきます。

 

母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうに呟くことがありました。『こんな自分に捕まっちゃったばかりに…』と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんな綺麗事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。

 

勿論、人は生まれもって誰のものでもなく個人です。歴とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑に落ちません。けれども、真実は、母がその在り方を自由意志で選んだのです。そして、父もひとりの女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

 

2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!

 

79年という永い間、父がほんとうにお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

Fuckin’ Yuya Uchida,don’t rest in peace just Rock’n Roll!!!

 

2019年4月3日
喪主 内田也哉子

言葉の美しさ鋭さに心が揺さぶられた

ちょうど熱海で経営塾の合宿中だった。

テレビをつけながら朝の身支度を整えていると、このニュースが流れてきた。

タイミングよく、内田也哉子さんの謝辞を最初から最後まで聞くことができた。

内田裕也のファンでもないし、内田也哉子さんのこともよく知らない。

でも、なんでだろう。

彼女の謝辞を聞いていて、心が震えた。鷲掴みにされた気分になった。

彼女が選び、発する言葉が、ひとつひとつ研ぎ澄まされていた。

これらの言葉も、父・内田裕也とのこれまでの時間から浮かび上がったものなのだろう。

決して着飾っているわけでもなく、最後の舞台で父に送る言葉として、素直に出てきた言葉なのだろう。

それにしても、美しくも心に刺さる、才能としか説明できない言葉に魅了された。

『言葉』の価値が高い時代。『言葉』を磨き続ける必要がある。

『人を動かす立場の人』にとって、言葉とはとても大切なものである。

そのひとことで、人を励ますことも勇気づけることもできるし、そのひとことで、人を傷つけることもできる。

SNSなどが、日常にこれほど影響に与える時代になったこともあり、『言葉』の価値が高まっていると感じている。

小さな会社の社長も、『人を動かす立場の人』。

どのような言葉を選択し、どのように社員と共有するか。

これまでは、その場で思ったことを、率直に伝えればよかったのかもしれない。

しかし、より深く社員の心に浸透させ、より早く行動となって現れるためには、思いつきの言葉だけでは難しくなってきている。

社長も自ら、心を揺さぶられる言葉に数多く接して、言葉を磨く必要がある。

そして、どのような言葉を使って、なにを社員に浸透させるのかを考え、準備を整えることで、言葉の浸透率は格段に高まることだろう。

言葉の価値が上がっている今だからこそ、さらに言葉に磨きをかけないといけないと考えさせられたニュースだった。

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    この記事を書いた人

    金村 秀一

    100年塾塾長・社長コンサルタント

    社員数30人以下のヒト・モノ・カネの悩みを解決するための成功し続ける社長の経営塾”100年塾”を主宰。

    経営塾”100年塾”は、飲食業界に関わらず、様々な業界の社長が全国各地から参加している。経営計画書・環境整備・斜めの関係という再現性の高い道具を使って、社員がイキイキと働きながら、社長の決定をすぐに実行する、高収益体質の会社づくりをサポート、生産性が高い強い経営ができる。