社長の勇気ある意思決定をカタチにする
メッシ13歳。紙ナプキンの契約書
才能と障害を持ち合わせた天才
メッシは13歳にして、すでにユースサッカー会の伝説的存在だった。
しかし、メッシには『成長ホルモン分泌障害』があり、毎晩皮下注射を打たなければならなかった。
『成長ホルモン分泌障害』とは、これは身長が伸び悩む病気で、基本的には完治させることはできず、成長ホルモンを注射等で投与することで、少しでも身長を伸びるようにするといった治療しかできない。
この治療は非常に高価で、1年目こそ父親が働いていた会社の医療保険で賄われていたが、2年目の終わりに近づくとその支払いもストップされ、窮地に追いやられた。
そんな時、当時所属していたチームが、少年メッシの可能性に目をつけて一部の支払いを申し出た。
しかし、少しずつクラブからの支払いも滞っていく中、いくつかのクラブを渡り歩き、最終的にはFCバルセロナから治療費負担を引き出すことができた。
たった8分間のプレーで契約を決意
2000年10月3日、運命の日はやってきた。
14歳と15歳の選手で構成されるユースの試合を通じて、クラブはメッシの将来を見定めることとなった。
スカウトが試合開始から5分が経過して遅れて到着、そこからベンチにたどり着くまでのわずか7、8分間のメッシのプレーをコートサイドを歩きながら見ただけで、すでにスカウトの心は決まっていた。
『すぐにでも、契約だ!』
その時のスカウトはこのようなコメントを残している。
私が何を見たかって? 小柄だが動きに全くブレがなく自信たっぷりで、速くて技術もあって、誰が目の前に立ちはだか」ってもボールをフルスピードで運ぶことができて、相手と競り合ったときに絶対に負けなかった少年だ。まだ13歳だったが圧倒的な力があることは明らかだった。なかにはチームの助けがなければ使いものにならない選手もいるが、あいつは違った。私は“メッシを発掘した男”と呼ばれているが、私はこう答えている。もし火星人が目の前を通りかかったら誰にでも分かるはずだ、とね。それぐらいメッシは別格だった。
こうしてすぐにメッシ少年との契約に同意した。
伝説の紙ナプキンの契約書が誕生
しかし、メッシのトライアルが終わっていたものの、同クラブの会長がなかなか契約の話を前に進めず、メッシの代理人も苛立ちを募らせていた。
さらにメッシの獲得を熱望している他のクラブも多く、バルセロナの躊躇に付き合うことに我慢の限界もきていた。
その両者に間に同クラブのアドバイザーが入り、即決で入団を決断。
そのようなこともあり契約書の準備もなく、『彼は天才だ!紙ナプキンでも、なんでもいいからサインさせろ!』とメッシは紙ナプキンにサインをして入団が決まった。
そして、獲得を逃したくないアドバイザーは、目の前にある紙ナプキンを取り、メッシの代わりにこう書き込んだ。
バルセロナ 2000年12月14日。
メッシ選手と私がやるべきことが守られたら、バルセロナFCはメッシ選手と契約を結びます。
▲実際の紙ナプキン(画像:Twitter@pablogavira)
『紙ナプキン』を伝説にするために
メッシがその後、ヨーロッパの年間最優秀選手に贈られる賞の『バロンドール』を5回獲得していることからも、1枚の紙ナプキンが人生を大きく変えたことがわかります。
同じように、社長の勇気あるたった1つの意思決定が、未来を大きく変えるターニングポイントになることがあります。
特に100年塾で学べることは、半世紀50年以上の歴史があるほど、再現性が高く、会社が大きく変わることは、この8年間で多くの塾生企業で実証済みなこともあり、すでに確信となっています。
だからこそ、社長の勇気ある意思決定が、メッシのように、人生を大きく変えるターニングポイントになった時のために、『紙ナプキン』というラブストーリーを加えています。
『未来から過去を振り返った時に、この紙ナプキンが伝説となる。』
そんな成長を望む社長と一緒に伝説を創れることは、この仕事をさせてもらっている最大の喜びです。