1枚の紙ナプキンが人生を、経営を大きく変える。

金村
先日開催された札幌でのセミナーの懇親会で、ある社長が経営塾への入塾を決意。その想いを形にするために、目の前にある紙ナプキンに申込みのサインをしてもらいました。あの伝説のサッカー選手メッシと同じように。

社長の勇気ある意思決定をカタチにする

私が主宰している経営塾『100年塾®️』には、社員数30人以下の成長を望む社長たちが全国から参加しています。
社長ですから、突然、どこかのタイミングで、意思決定のスイッチが入ります。
『金村さん、100年塾に行きます!』と。
会社見学会や説明会などの会場で言われるのであれば、もちろん問題はありません。
でも、意外と懇親会の席で意思決定をされる人がいます。
そして、その多くの人は、翌日以降にその意思決定を改めてご連絡いただきます。
でも、稀に懇親会のその場で、意思決定をはっきりと言葉で言われることがあります。
これまで過去に1名だけ、懇親会の席で行きなり『行きます!』と言われたことがあります。
社長のこの勇気ある意思決定を伝説にするために、その時は『コースターの裏』にサインをしてもらいました。
そして、今回の札幌開催の超実践経営セミナーでも、懇親会の席で意思決定をされた社長がいました!
その意思決定を伝説のカタチにするために、今回は『紙ナプキン』にサインしてもらいました。
サッカー選手FCバルセロナのメッシのように。

メッシ13歳。紙ナプキンの契約書

才能と障害を持ち合わせた天才

メッシは13歳にして、すでにユースサッカー会の伝説的存在だった。

しかし、メッシには『成長ホルモン分泌障害』があり、毎晩皮下注射を打たなければならなかった。

『成長ホルモン分泌障害』とは、これは身長が伸び悩む病気で、基本的には完治させることはできず、成長ホルモンを注射等で投与することで、少しでも身長を伸びるようにするといった治療しかできない。

この治療は非常に高価で、1年目こそ父親が働いていた会社の医療保険で賄われていたが、2年目の終わりに近づくとその支払いもストップされ、窮地に追いやられた。

そんな時、当時所属していたチームが、少年メッシの可能性に目をつけて一部の支払いを申し出た。

しかし、少しずつクラブからの支払いも滞っていく中、いくつかのクラブを渡り歩き、最終的にはFCバルセロナから治療費負担を引き出すことができた。

たった8分間のプレーで契約を決意

2000年10月3日、運命の日はやってきた。

14歳と15歳の選手で構成されるユースの試合を通じて、クラブはメッシの将来を見定めることとなった。

スカウトが試合開始から5分が経過して遅れて到着、そこからベンチにたどり着くまでのわずか7、8分間のメッシのプレーをコートサイドを歩きながら見ただけで、すでにスカウトの心は決まっていた。

『すぐにでも、契約だ!』

その時のスカウトはこのようなコメントを残している。

私が何を見たかって? 小柄だが動きに全くブレがなく自信たっぷりで、速くて技術もあって、誰が目の前に立ちはだか」ってもボールをフルスピードで運ぶことができて、相手と競り合ったときに絶対に負けなかった少年だ。まだ13歳だったが圧倒的な力があることは明らかだった。なかにはチームの助けがなければ使いものにならない選手もいるが、あいつは違った。私は“メッシを発掘した男”と呼ばれているが、私はこう答えている。もし火星人が目の前を通りかかったら誰にでも分かるはずだ、とね。それぐらいメッシは別格だった。

こうしてすぐにメッシ少年との契約に同意した。

伝説の紙ナプキンの契約書が誕生

しかし、メッシのトライアルが終わっていたものの、同クラブの会長がなかなか契約の話を前に進めず、メッシの代理人も苛立ちを募らせていた。

さらにメッシの獲得を熱望している他のクラブも多く、バルセロナの躊躇に付き合うことに我慢の限界もきていた。

その両者に間に同クラブのアドバイザーが入り、即決で入団を決断。

そのようなこともあり契約書の準備もなく、『彼は天才だ!紙ナプキンでも、なんでもいいからサインさせろ!』とメッシは紙ナプキンにサインをして入団が決まった。

そして、獲得を逃したくないアドバイザーは、目の前にある紙ナプキンを取り、メッシの代わりにこう書き込んだ。

バルセロナ 2000年12月14日。

メッシ選手と私がやるべきことが守られたら、バルセロナFCはメッシ選手と契約を結びます。

▲実際の紙ナプキン(画像:Twitter@pablogavira)

『紙ナプキン』を伝説にするために

メッシがその後、ヨーロッパの年間最優秀選手に贈られる賞の『バロンドール』を5回獲得していることからも、1枚の紙ナプキンが人生を大きく変えたことがわかります。

同じように、社長の勇気あるたった1つの意思決定が、未来を大きく変えるターニングポイントになることがあります。

特に100年塾で学べることは、半世紀50年以上の歴史があるほど、再現性が高く、会社が大きく変わることは、この8年間で多くの塾生企業で実証済みなこともあり、すでに確信となっています。

だからこそ、社長の勇気ある意思決定が、メッシのように、人生を大きく変えるターニングポイントになった時のために、『紙ナプキン』というラブストーリーを加えています。

『未来から過去を振り返った時に、この紙ナプキンが伝説となる。』

そんな成長を望む社長と一緒に伝説を創れることは、この仕事をさせてもらっている最大の喜びです。

 

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    この記事を書いた人

    金村 秀一

    100年塾塾長・社長コンサルタント

    社員数30人以下のヒト・モノ・カネの悩みを解決するための成功し続ける社長の経営塾”100年塾”を主宰。

    経営塾”100年塾”は、飲食業界に関わらず、様々な業界の社長が全国各地から参加している。経営計画書・環境整備・斜めの関係という再現性の高い道具を使って、社員がイキイキと働きながら、社長の決定をすぐに実行する、高収益体質の会社づくりをサポート、生産性が高い強い経営ができる。