八村選手・日本人初NBAドラフト1位指名
社員旅行で台湾にいる間に、待ちに待っていたビックニュースがスマホに届いた。
20日にアメリカ・ニューヨークで行われたNBAドラストで、日本代表の八村塁選手が、日本人初となる1巡目の全体9位で、ワシントン・ウィザーズから指名を受けた。
日本人初のNBA選手・田臥勇太選手も、今回の八村塁選手の1位指名を『奇跡』と話をしている。
アメリカ人だって難しいNBAのドラスト1巡目の中で、これは奇跡に近い。
これから先何十年も出てこない快挙だと思う。
さらに、ドラフトで選ばれた選手の中で唯一、ジョーダン・ブランドとの契約も果たした。
信じる力が人を強くする
中学時代からバスケをはじめたときに、恩師の坂本コーチから『お前はNBAに行くんだ』と言われた。
それ以来、その言葉を信じて努力を積み重ねてきた。
そもそも、素質はあったかもしれないが、この結果は努力のたまものと言える。
アメリカのゴンザガ大に入学した八村選手は、最初から順風満帆ではなかった。
新しい環境の中、最初は英語も話せない中、早朝からの授業、練習、筋力強化、個別学習と息つく暇もないほどの努力を重ねてきている。
その努力の甲斐もあり、八村選手は大学3年生の時に大きく開花することになる。
1年生の時は、控えからの出場が多く1試合あたりの出場時間は、わずか4.6分。得点はわずか2.6得点。
2年生の時に、チームの主力選手となり、3年生の時には、1試合あたりの出場時間は、わずか30.2分。得点は19.7得点と飛躍的な成長を遂げている。
ドラフト指名したウィザーズのシェパード副社長も、その点をこのように評価している。
遅咲きの選手。毎日練習すると聞いている。
その点は心配していない。
攻守に素晴らしい選手だ。
ゼネラルマネジャーGMのトミー氏も、こう高く評価している。
八村とはなんども会っていたけど、ウィザーズ関係者であることを隠していた。
なぜなら、相手の態度が変わってしまうから、一般人を装って接していた。
それでも八村は、毎回礼儀正しく接してくれた。
だから、最高の選手に育て上げたい。
『恩師からの言葉を信じ、夢を抱き、その夢を信じてきたからこそできた。全てはそこからはじまりました。』
と、八村選手はインタビューで話していた。
今回の若干21歳の八村選手のインタビューを聞いていて、信じることで人はここまで強く、たくましくなれるものなのだと改めて気づかさせられた。
”一族”で考えると人生の夢は広がる
父親の出身がベナン、母親の出身が日本のハーフである八村選手は、このようにも話している。
運動能力や身体能力は父から、勤勉さや中心選手としてチームの調和を図る姿勢は母から譲り受けた。
日頃から社員たちには、
『あなたが今やっていることは、あなたの世代だけでは終わらない。
次の子供の世代はもちろん、少なくても孫の世代までの一族に影響する。
だから目に見えないものを大切にして生きること、仕事をすること。』
と伝えている。
目に見えるものは、いずれ劣化するから次に引き継がれることも少ない。
でも、目に見えない考え方や環境などは、大きな流れとなり世代を超えて一族に引き継がれる。
何を信じて、どう生きるのか。
ここに人生の価値があるし、人生の楽しみでもある。
かけられた恩は石に刻む
NBAのドラフトが終了してから、中学時代の恩師の携帯に八村選手から電話が掛かってきたシーンが印象的だった。
人は上手くいっている時には、まわりにたくさんの人が寄ってくる。
だから、これまでにかけてもらった恩を忘れがちになるのが普通と言える。
そんな中、これまで自分を育ててくれた、成長させてくれた恩師たちに対し、このような報告をしている姿にも非凡さを感じる。
『かけた恩は水に流し、かけられた恩は石に刻む』
また、ひとり大和魂を持った日本人の世界での活躍がこれからはじまる。
本場NBAでの活躍はもちろん、東京オリンピックでの活躍も期待している。
八村選手のさらなる飛躍を影ながら応援している。