レイ・クロックとマクドナルド兄弟との違いはなんだったのか?
映画の中でレイ・クロックがマクドナルドを初めて訪問・視察し、兄弟二人と食事をした翌日、朝一番で再びマクドナルド兄弟のところを訪問して『フランチャイズだ!フランチャイズしかない!』と話をするレイ・クロック。このシーンは予告編でも見ていただけにここがターニングポイントになるのかと思っていた。しかし、マクドナルド兄弟の回答は『すでにやっている』というものだった。やってはいるものの、人の問題から起こるクオリティー維持の難しさを痛感し、兄弟のたどり着いた答えは、フランチャイズ展開しないというものだった。
レイ・クロックはそれでも話を前に進めて、投資家などに話をして回り、資金を集め、マクドナルドのフランチャイズを推し進めていく。しかし、マクドナルド兄弟が言っていたのと同じように、人の問題からくるクオリティー維持の難しさに直面する。現場に足を運んで肩を落としながら駐車場を掃除しているレイ・クロックの姿が印象的だ。
その問題を解決したのが、夫婦でのマネージャー採用だった。夫がオペレーションを管理し、妻が接客をコントロールするというもの。この夫婦採用で問題が解決した瞬間に、この成功事例を横展開してクオリティーの安定を維持させることを成功させる。スピードと徹底。この2つを高いレベルで行い続けていた。
高い志を忘れずに前向きに仕事をしたことでもたらされた。
レイ・クロックは50歳を過ぎた冴えない営業マンだった。ただ、いつか大きな花を咲かせてやろうと常に野心を持って仕事をしていた。映画の中でレイ・クロックがマクドナルド兄弟から一番欲しかったものは、システムでも商品でもなく”マクドナルド”という名前だったと話していたのがその理由だ。
レイ・クロックはミルクシェイク機械の営業を続けながら、成功をするためには模倣だけでは上手くいかないことを経験から知っていた。現に、マクドナルド兄弟にこれまで何人もの人が視察に来て、模倣して出店して、失敗した人がたくさんいると話している。もし、レイ・クロックが何も考えない冴えない単なる営業マンだったら、それと同じように模倣してハンバーガー屋を出店して、失敗していたに違いない。
レイ・クロックが見ていたものは、単にマクドナルドのようなお店を経営したいということではなく、アメリカ全土にこの素晴らしいビジネスを展開するというビジョンだった。このようなビジョンを描けたのも、これまでの仕事に全身全霊で取り組むことで、感性が磨かれていたからこそ見えたことだ。ビジョンの違いは違う景色をつくることを再確認した。
打つ手は無限。諦めない心。
経営に完璧はない。次から次へ課題が現れる。フランチャイズ展開の契約締結。人的問題からくるクオリティー問題。微量なロイヤリティーによる資金難。冷凍ケースの固定費増による加盟店の利益減少などなど。もちろん映画にならない部分でも次から次に課題があったはずだ。
ここからわかることは何かをはじめるときは、見切り発車が重要だということだ。ビジネスにも経営にも完璧はない。完璧を求めるのではなく、課題を成長と受け止め楽しむこと。何か新しいことをするときには、この気持ちを忘れずに推し進めていく必要がある。課題も無限。打つ手も無限。
映画を見終わって感じたこと
映画を見終わった時、すっきりしないモヤモヤが心の中にあった。ここまでしないとビジネスは成功しないのか?ここまでしてでも成功させたいのか?といったモヤモヤだ。
ただ、映画を見終わって三重・伊勢神宮に向かう新幹線の中で違う想いも浮かんで来た。それは、一見すると豪腕とも言える手法を使ってマクドナルド兄弟から権利を奪って事業を展開し成功を収めたかのようにも見える。しかし、よくよく冷静に考えてみると、誰も損をしていないことがわかる。事業を奪われたマクドナルド兄弟にも白紙の小切手を渡し、最終的には2,700,000ドルを渡している。現在の勝ちで考えるとおおよそ2.7億円だが、当時で換算するとそれ以上の価値があったはずだ。
さらに、レイ・クロックと同じ価値観で情熱を燃やし、ビジョンの実現に生きた人たちはみな出世をしている。共に汗をかいた人とその家族を幸せにする。社会貢献や企業の存在価値はもちろん重要だが、それ以上に、一緒に働いている社員とその家族を幸せにできたかどうかが重要だと考えると、手段は賛否両論あるにせよレイ・クロックは実現した。
最後に。。。
この映画を観ようと映画館を探してみると、ほとんどの映画館でやっていない。東京23区でも有楽町と新宿と渋谷だけだった。上映場所が少ないから見るのに手間がかかると思うが、社員を抱える社長たちにはぜひ見て欲しい映画と言える。レイ・クロックほどの溢れるほどの事業に対するエネルギーをはじめ、気づく・感じることが多いのではないだろうか。おすすめの1本と言える。