わが家には家系図があります。私が成人式の時に親父からもらったもの。2018の元日は息子が中学生になって初めての正月。ある想いがあって家系図を見せ、親父と息子と3世代で正月に眺めていました。
家系図とは
そもそも、家系図とは、『系図(けいず)は、ある一族の代々の系統を書き表した図表』とある。
手元にある金村家の家系図を見ても縦に8代の歴史が書かれている。1代が30年と考えると240年以上の歴史がある。そして、この家系図には248人の名前が刻まれている。
息子に家系図を見せようと思ったきっかけ
成人を迎えた私に、家系図を渡した親父には、どのような意図や想いがあったかはわからない。ただ、それを渡されて眺めていた、当時の私には様々な想いが頭をよぎったのをいまでも覚えている。その想いがその後の私の生き方を大きく左右したこともあって、息子が中学生になった今回伝えることにした。
私がこの家系図を見てまず想ったことは、「生きること」と「継なげること」この2つの重要性だ。
まずは「生きること」
「生きること」。
8代前から私まで240年の歴史、簡単に考えても血の繋がりがある。決して自分一人で今があるわけではない。私まで継なげてくれた血の繋がりを全うするためには、まずは「生きること」。この命を燃やし続けることが何より重要であると感じた。
幸せ、満足などはどう感じるかの心の問題。幸せも満足もその先にあるものだと。それ以上に大切なことはまずは「生きること」だと想っている。
そして「繋げること」
「継なげること」。
その代では成し得なかったことが、世代を超えることで成し得ることができる。次の子供の代、または孫の代で成し遂げられることもある。継なげることで、可能性は無限に広がる。
ここでいう繋げることとは、特に目に見えないもののこと。目に見る資産などのことではない。
考え方や在り方、振る舞い方など、目に見えない数々の『教え』が次の世代を豊かにする。だからこそ、家族で時と場所を共有して価値観を合わせることは、世代を継なぐこと上では不可欠である。
次の世代へ繋げるべきものとは
損得の「得」を考えるのはその世代でのこと。「得」が次世代、次々世代まで良い影響を与え続けることは中々ない。
世代を超えて引き継がれていくものは目に見える「得」ではなく、目に見えない「徳」である。人間として「徳」を積み続けること、魂を磨き続けること、これらを次世代に伝えることだ。
時代に合わせた破壊と創造を繰り返す
個人で言えば仕事、会社で言えば事業は、長い歴史を考えれば生きていくための手段にしか過ぎない。この手段に固守しすぎるは危険と言える。
この240年の歴史の中でも一番の敵は「時代」であったに違いない。時代に合わせて変化し続けることができるか、これが歴史を継なぐために私たちが試されている。
常にブレない「継なげる勇気」を持って破壊と創造をいかに続けることができるか。
世代を超えることで可能性は無限に広がる
自分の代、一代だけで人生を考えると、大学を卒業した23歳から定年とされる65歳のたった42年間しかない。しかも、気づいたら40、50歳になっていたと考えると残された時間はさらに短く感じる。でも、これは、あくまで一代で考えた時のこと。
次世代へ”継なげる”という発想に基準が変わった瞬間に、まだまだできることがあることがわかる。『遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す』という言葉が脳裏に浮かぶ。
これまでの歴史が勇気をくれる
運よく私には、この血を引き継ぐ子供たちができた。だから、私自身も「得」を残すのではなく、「徳」を残すためにできることは時間を惜しまずにやり続けている。個人としても、会社としても、成長を求め、時代の変化を受け入れ、まだまだやるべきことがあることを幸せに思う。
そして、8代240年続くこの家系図が、いつも私にその勇気をくれる。